アメリカの政治哲学者マイケル・サンデル(Michael Sandel)は、世界でもっとも有名な哲学教師の一人として知られています。
ハーバード大学で行われている彼の講義「Justice(正義)」は公開授業として人気を集め、その内容をまとめた著書『Justice: What’s the Right Thing to Do?』は、世界的なベストセラーとなりました。
哲学書としては異例の売れ行きを記録し、日本でも大きな話題になった一冊です。
本書の魅力は、難解な理論から始めるのではなく、私たちが日常的に直面する道徳的ジレンマから「正義とは何か」を考えさせてくれる点にあります。
英文も読みやすく、英語学習者にもおすすめできる一冊。
この記事では、有名なトロッコ問題のパートを原文で読んでみましょう。
トロッコ問題を英語で読む
有名なトロッコ問題のパートを読んでみましょう。
Suppose you are the driver of a trolley car hurtling down the track at sixty miles an hour. Up ahead you see five workers standing on the track, tools in hand. You try to stop, but you can’t. The brakes don’t work. You feel desperate, because you know that if you crash into these five workers, they will all die. (Let’s assume you know that for sure.)
Suddenly, you notice a side track, off to the right. There is a worker on that track, too, but only one. You realize that you can turn the trolley car onto the side track, killing the one worker, but sparing the five.
What should you do? Most people would say, “Turn! Tragic though it is to kill one innocent person, it’s even worse to kill five.” Sacrificing one life in order to save five does seem the right thing to do.
Now consider another version of the trolley story. This time, you are not the driver but an onlooker, standing on a bridge overlooking the track. (This time, there is no side track.) Down the track comes a trolley, and at the end of the track are five workers. Once again, the brakes don’t work. The trolley is about to crash into the five workers. You feel helpless to avert this disaster—until you notice, standing next to you on the bridge, a very heavy man. You could push him off the bridge, onto the track, into the path of the oncoming trolley. He would die, but the five workers would be saved. (You consider jumping onto the track yourself, but realize you are too small to stop the trolley.)
Would pushing the heavy man onto the track be the right thing do? Most people would say, “Of course not. It would be terribly wrong to push the man onto the track.”Pushing someone off a bridge to a certain death does seem an awful thing to do, even if it saves five innocent lives. But this raises a moral puzzle: Why does the principle that seems right in the first case—sacrifice one life to save five—seem wrong in the second?
Michael Sandel, Justice: What’s the Right Thing to Do? より引用
英文解説
1.
Suppose you are the driver of a trolley car hurtling down the track at sixty miles an hour.
【語彙】
- suppose:「〜と仮定してください」。命令文で使われ、思考実験の導入に使われる表現です。
- trolley car:路面電車・トロッコ電車。
- hurtling:「猛スピードで突進している」。hurl(投げる)から派生した現在分詞です。
- down the track:「線路上を(前方へ)」。
【読解プロセス】
まずSuppose you are the driver of a trolley car(あなたがトロッコ電車の運転手だと仮定してください)という大きな枠を把握します。
そのあとhurtling down the track at sixty miles an hourが「どんな状態で走っているか」を説明する分詞句です。
「時速60マイルで線路上を猛スピードで突進している」と後ろから修飾していると読みましょう。
2.
Up ahead you see five workers standing on the track, tools in hand.
【語彙】
- up ahead:「前方に」。upは強調の副詞です。
- standing on the track:現在分詞句でfive workersを修飾しています。
- tools in hand:「手に道具を持って」。付帯状況を示す独立した句です。
【読解プロセス】
文頭のUp aheadは「前方に」という場所を示す副詞句で、倒置が起きています。通常語順はYou see five workers up ahead…ですが、Up aheadを前に出すことで「前方の危険」が強調されます。
five workersのあとのstanding on the trackは「線路上に立っている」という状態の説明、tools in handはさらに「手に道具を持って」と働いている様子を補足しています。
3.
You try to stop, but you can’t.
【語彙】
- try to stop:「止めようとする」。tryは「努力するが結果は保証されない」というニュアンスです。
- but you can’t:cannotの短縮形で能力・可能性の否定です。
【読解プロセス】
You try to stop(止めようとする)とbut you can’t(でもできない)という対比構造をシンプルに読み取りましょう。
文が非常に短く切られているのは意図的で、緊迫感を演出しています。
「意志はあるが不可能」という状況を示すことで、主人公に悪意がないことが明確になります。
4.
The brakes don’t work.
【語彙】
- brakes:ブレーキ。
- don’t work:「機能しない・効かない」。
【読解プロセス】
前の文「You can’t stop」の理由を補足する1文です。「なぜ止まれないのか?→ブレーキが効かないから」という因果関係を確認しましょう。
この短い文で「他の方法で止まる可能性」が排除され、読者の思考が「どちらに進むか」という選択に集中します。
5.
You feel desperate, because you know that if you crash into these five workers, they will all die.
【語彙】
- desperate:「絶望的な」。極限の心理状態を表します。
- crash into:「〜に激突する」。
- they will all die:willは確実な未来の予測です。
【読解プロセス】
まずYou feel desperate(あなたは絶望を感じる)というメインの意味を取り、そのあとbecause以下が「なぜ絶望するのか」の理由を説明していると読みます。
because節の中にはさらにif節(条件)が入っており、「もし5人に激突したら→全員死ぬ」という構造です。
入れ子になっていますが、because→ifの順に意味を追うと整理しやすいです。
6.
(Let’s assume you know that for sure.)
【語彙】
- Let’s assume:「〜と仮定しましょう」。読者に語りかける対話的な表現です。
- for sure:「確実に」。
【読解プロセス】
括弧は「補足説明」のサインです。「5人が必ず死ぬということを、あなたは確実に知っている、と仮定しましょう」という意味です。
哲学的思考実験では「もしかしたら助かるかも」という曖昧さを排除して問いを純粋にする必要があります。このカッコ書きはその操作を読者に明示しています。
7.
Suddenly, you notice a side track, off to the right.
【語彙】
- suddenly:「突然」。物語の転換点を告げる副詞です。
- notice:「気づく」。seeより「偶然・はっと気づく」というニュアンスが強い語です。
- side track:「支線・分岐した線路」。
- off to the right:「右手に外れたところに」。
【読解プロセス】
Suddenlyが「場面転換」のシグナルです。ここから状況が変わります。
notice a side trackで「支線の存在に気づく」という新情報が導入され、off to the rightがその位置を補足します。
noticeという語の選択に注目してください。seeと違い「意識して探したのではなく偶然気づいた」というニュアンスがあります。
8.
There is a worker on that track, too, but only one.
【語彙】
- too:「〜もまた」。前述の5人と対応させています。
- but only one:「しかしたった1人だけ」。
【読解プロセス】
There is構文で「その支線にも作業員がいる」という新情報を提示します。tooで「5人と同じく作業員がいる」ことを示し、but only oneで「でも1人だけ」と数の対比を鮮明にします。
この1文が「1人 vs 5人」というジレンマの核心を設定しています。but only oneの短さが「たった1人」という事実を印象的に刻みます。
9.
You realize that you can turn the trolley car onto the side track, killing the one worker, but sparing the five.
【語彙】
- realize:「気づく・悟る」。noticeより論理的な認識を含む語です。
- turn … onto:「〜を…に曲げる」。
- killing … but sparing:分詞構文で結果を表します。
- spare:「(命などを)助ける」。
【読解プロセス】
まずYou realize that you can turn the trolley car onto the side track(支線に曲げられると気づく)という中心命題を取ります。
そのあとのkilling the one worker, but sparing the fiveは「その結果として何が起こるか」を示す分詞構文です。
「1人を殺す代わりに5人を救う」という行為の表裏が、killingとsparingの対比で鮮やかに表現されています。
10.
What should you do?
【語彙】
- should:道徳的義務・当為を問う助動詞です。「〜すべきか」という規範的問いを示します。
【読解プロセス】
たった4語の短い問いですが、この章で最も重要な文の一つです。
What would you do?(あなたならどうしますか?)ではなく、What should you do?(あなたはどうすべきか?)という問いである点に注目してください。
shouldが「事実」ではなく「規範・倫理」の問いであることを示しています。
11.
Most people would say, “Turn! Tragic though it is to kill one innocent person, it’s even worse to kill five.”
【語彙】
- Most people would say:「ほとんどの人はこう言うでしょう」。wouldは一般的傾向の推量です。
- Tragic though it is:「悲劇的ではあるが」。Though it is tragicの倒置形です。
- even worse:「さらに悪い」。evenが比較級を強調します。
【読解プロセス】
引用符の中の言葉をまず構造から整理しましょう。
Tragic though it is to kill one innocent personは、Though it is tragic to kill one innocent personの倒置で、「1人の無実の人を殺すことは悲劇的ではあるが」という譲歩節です。
続くit’s even worse to kill fiveが主張の核心で「5人を殺す方がさらに悪い」となります。1人の死を認めつつも5人の死の方が悪いという功利主義的直感が表れています。
12.
Sacrificing one life in order to save five does seem the right thing to do.
【語彙】
- Sacrificing:動名詞で文の主語になっています。「犠牲にすること」。
- in order to save:「〜を救うために」という目的を示す不定詞句です。
- does seem:doによる強調。「確かに〜のように思われる」。
- the right thing to do:「なすべき正しいこと」。
【読解プロセス】
主語がSacrificing one life in order to save five(1人の命を犠牲にして5人を救うこと)という長い動名詞句になっています。
動詞はdoes seemです。does(強調のdo)+seemという組み合わせで「確かに〜のように思われる」という意味になります。
断定のisではなくseemを使っている点が重要で、「そう思われるが……」という含みを持たせています。
13.
Now consider another version of the trolley story.
【語彙】
- Now:「さて・次に」。話題転換を告げる接続副詞です。
- consider:「考えてみてください」。命令文です。
- another version:「別バージョン」。
【読解プロセス】
Nowが第2の思考実験への転換を明示します。
consider(命令形)が読者に「次の問いを考えてほしい」と直接呼びかけています。
another versionという表現が「基本構造は同じだが何かが違う」ことを予告し、読者に「どこが違うのだろう?」という問いを持たせます。
14.
This time, you are not the driver but an onlooker, standing on a bridge overlooking the track.
【語彙】
- This time:「今度は」。前のケースとの対比を示します。
- onlooker:「傍観者・見物人」。
- overlooking:「見下ろしている」。over+lookで「上から見る」という意味です。
【読解プロセス】
not A but Bの構文に注目しましょう。「運転手ではなく、傍観者だ」という対比が第2ケースの核心的変更点です。
standing on a bridge overlooking the trackは、an onlookerを後ろから説明する分詞句で、「線路を見下ろす橋の上に立っている」という状況を補足しています。
15.
(This time, there is no side track.)
【語彙】
- This time:「今度は」。
- there is no:「〜がない」という存在の否定です。
【読解プロセス】
括弧内の補足で、第1ケースとの条件の違いを明示しています。
第1ケースで使えた「支線に曲げる」という選択肢が今回は存在しないことを確認しています。
思考実験の条件を明確にするための丁寧な注記です。
16.
Down the track comes a trolley, and at the end of the track are five workers.
【語彙】
- Down the track comes a trolley:場所の副詞句が文頭に出た倒置構文です。
- at the end of the track are five workers:同じく倒置です。
【読解プロセス】
2つの倒置構文が連続しています。
通常語順はA trolley comes down the track / Five workers are at the end of the trackですが、場所を表す語句を前に出すことで「どこから来て、どこに誰がいるか」という空間的な情報が強調されます。
映像的・臨場感のある描写として読みましょう。
17.
Once again, the brakes don’t work.
【語彙】
- Once again:「またしても・再び」。第1ケースとの対応を示します。
【読解プロセス】
第1ケースの第4文とほぼ同じ表現が繰り返されています。「ブレーキが効かない」という条件が引き継がれていることを確認する役割です。
思考実験では「変えた条件」と「変えていない条件」を明確にする必要があり、この繰り返しはその手続きです。
18.
The trolley is about to crash into the five workers.
【語彙】
- be about to:「まさに〜しようとしている」。直前の未来を表します。
- crash into:「〜に激突する」。
【読解プロセス】
be about toという表現が「今まさに起ころうとしている」という極限の緊迫感を表します。
第1ケースでは「止められなければ死ぬ」という将来の話でしたが、ここではより切迫した瞬間として描かれています。
19.
You feel helpless to avert this disaster—until you notice, standing next to you on the bridge, a very heavy man.
【語彙】
- helpless:「なすすべがない・無力な」。
- avert:「(災難などを)防ぐ・回避する」。
- —until:ダッシュ(—)が劇的な転換を示します。
- a very heavy man:「非常に体の大きな男性」。
【読解プロセス】
まずYou feel helpless to avert this disaster(この災難を防ぐすべがないと感じる)という絶望感を受け取ります。
そのあとの—untilのダッシュが「しかし、そのとき」という劇的転換のシグナルです。
until以下はuntil you notice a very heavy man(体の大きな男に気づくまで)が骨格で、standing next to you on the bridgeはその男の位置を説明する挿入句です。
very heavyという描写が、後の「体重で電車を止める」という論理の伏線になっています。この一文で笑えた人は、英語力も読解力も高いです。
20.
You could push him off the bridge, onto the track, into the path of the oncoming trolley.
【語彙】
- could:「〜することができる(だろう)」という可能性を示す助動詞です。
- push him off:「彼を押し落とす」。
- the path of the oncoming trolley:「向かってくるトロッコの進路上」。
【読解プロセス】
off the bridge(橋から)→ onto the track(線路の上へ)→ into the path of the oncoming trolley(向かってくるトロッコの進路に)という3つの前置詞句が、体を押し落とす動作の軌跡を段階的に追っています。
couldは仮定的な可能性を示しており、まだ「行動した」ではなく「選択肢として気づいた」段階であることを表しています。
21.
He would die, but the five workers would be saved.
【語彙】
- would die / would be saved:「(そうすれば)〜だろう」という仮定的結果を示すwouldです。
- be saved:受動態。「救われる」。
【読解プロセス】
He would die(彼は死ぬだろう)とbut the five workers would be saved(しかし5人の作業員は救われる)という対比構造です。
第9文のkilling the one worker, but sparing the fiveと明確に対応しています。
数の論理(1人の死と5人の救出)は第1ケースと全く同じである点を確認しておきましょう。この対称性が後の問いの核心になります。
22.
(You consider jumping onto the track yourself, but realize you are too small to stop the trolley.)
【語彙】
- consider -ing:「〜することを検討する」。
- too … to ~:「〜するには…すぎる」という構文です。
- stop the trolley:「電車を止める」。
【読解プロセス】
括弧内で「自分が飛び込む」という第3の選択肢を検討し、体格的に不可能だと除外しています。
too small to stop the trolleyは「電車を止めるには体が小さすぎる」という意味です。これにより「大男を突き落とす以外に手段がない」という条件が完全に確定します。思考実験の変数を丁寧に統制している補足です。
23.
Would pushing the heavy man onto the track be the right thing do?
【語彙】
- Would … be the right thing?:第1ケースの「What should you do?」に対応する問いです。
- pushing:動名詞が主語になっています。
【読解プロセス】
主語はpushing the heavy man onto the track(大男を線路に押し落とすこと)という動名詞句です。
「その行為は正しいことか?」と直接問うています。
第1ケースのWhat should you do?が「何をすべきか」という開かれた問いだったのに対し、ここでは特定の行為を主語にして「それは正しいか?」と絞り込んで問う構造の違いに注目しましょう。
24.
Most people would say, “Of course not. It would be terribly wrong to push the man onto the track.”
【語彙】
- Of course not:「もちろん違う」。強い否定と確信を示す表現です。
- terribly wrong:「ひどく間違っている」。terriblyが強調副詞です。
- It would be … to ~:仮定の評価を示す構文です。
【読解プロセス】
第11文(Most people would say, “Turn!”)と対称的な構造です。今度はOf course notという即座の強い拒否反応が示されます。
It would be terribly wrong to push the man onto the trackのItは、to push以下を指す形式主語です。「大男を線路に押し込むことはひどく間違っている」というのが多くの人の直感的反応として提示されています。
25.
Pushing someone off a bridge to a certain death does seem an awful thing to do, even if it saves five innocent lives.
【語彙】
- to a certain death:「確実な死へと」。certainが結果の確定性を強調します。
- does seem:強調のdoです。
- awful:「ひどい・恐ろしい」。
- even if:「たとえ〜だとしても」という譲歩の接続詞です。
【読解プロセス】
第12文(Sacrificing one life … does seem the right thing to do)と対応する構造を確認しましょう。
同じdoes seemを使いながら、評価がthe right thing→an awful thingと正反対になっています。
even if以下で「5人の命が救われる」という功利主義的論拠を認めつつも、それでもなおawfulだという直感を著者が肯定しています。
26.
But this raises a moral puzzle: Why does the principle that seems right in the first case—sacrifice one life to save five—seem wrong in the second?
【語彙】
- raises a moral puzzle:「道徳的難問を提起する」。raiseは「問題を提起する」という意味です。
- principle:「原則・原理」。
- —sacrifice one life to save five—:ダッシュによる挿入で原則の内容を明示しています。
- seem right / seem wrong:seemの繰り返しが「どちらも直感に基づく判断」であることを示します。
【読解プロセス】
この文が章全体の結論的な問いです。
まずBut this raises a moral puzzle(しかしこれは道徳的難問を提起する)という主張を取り、コロン(:)以下が「その難問の中身」を説明すると読みます。
Why節の中はthe principle that seems right in the first case(第1のケースで正しく思える原則)が主語で、—sacrifice one life to save five—はその原則の内容を示すダッシュ挿入句です。
最後のseem wrongが述語で「なぜ第2のケースでは間違いに思えるのか」という問いになっています。この問いがサンデルの講義全体を貫く根本的な問いの一つです。
サンデルがトロッコ問題で示したかったこと

サンデルがこのトロッコ問題でやろうとしているのは、私たちが道徳判断をするとき、どのような原理に依拠しているのかを明らかにすることです。
そして、その議論はやがて、功利主義とカント倫理の対立へとつながっていきます。
1 サンデルの問題提起
まずサンデルが提示するのは、次の道徳的直感です。
ケース1(線路切り替え)
- 5人が死ぬ
- 1人を犠牲にすれば5人が助かる
多くの人は「1人を犠牲にして5人を救うべきだ」と答えます。
しかし次のケースになると判断が変わります。
ケース2(橋から突き落とす)
- 5人を救うため
- 太った男を突き落として殺す
今度は多くの人が「それは間違っている」と答えます。
ここでサンデルは問いを立てます。
なぜ同じ「1人 vs 5人」なのに判断が変わるのか?
2 功利主義の立場
まずこの問題に対して、功利主義は非常にシンプルな答えを出します。
功利主義の基本原理は最大多数の最大幸福です。代表的な哲学者はジェレミー・ベンサム(Jeremy Bentham)。
功利主義では、道徳判断は結果の総量で決まります。
つまり、
- 5人死ぬ
- 1人死ぬ
なら、1人を犠牲にする方が道徳的に正しいとなります。
したがって功利主義の結論は一貫しています。
- トロッコを切り替える → 正しい
- 男を突き落とす → 正しい
どちらも5人を救う方が良いからです。
3 しかし人間の直感は違う
ここでサンデルが示す重要な点があります。
現実の人間の多くは、ケース2を拒否するのです。
つまり、
- 線路を切り替える → OK
- 人を突き落とす → NG
もし功利主義が完全に正しいなら両方OKになるはずですよね。この矛盾が、サンデルの議論の出発点です。
4 カント倫理の立場
ここで登場するのがイマヌエル・カント(Immanuel Kant)です。
カント倫理は功利主義とまったく違う発想を持っています。
カントの有名な原理は、人間を単なる手段として扱うなです。人間はそれ自体が目的であるという考えです。
5 カント倫理でのトロッコ問題
この観点から見ると、二つのケースはまったく違います。
ケース1(線路切り替え)
ここでは1人が死ぬのは副作用です。
あなたの目的は5人を救うことです。1人を殺すこと自体が目的ではありません。
ケース2(橋)
ここでは違います。
太った男はトロッコを止めるための道具として使われます。つまり人を手段として利用しているのです。
これはカント倫理では絶対に許されない行為です。
6 サンデルが示したかったこと
サンデルがこの例で示したかったのは、私たちの道徳感覚は功利主義だけでは説明できないということです。
人間の直感には、次の二つが混ざっています。
① 結果を重視する考え
(功利主義)
② 人間の尊厳を守る考え
(カント倫理)
トロッコ問題は、この二つの衝突を示しているのです。
7 Justice全体での役割
この例は、本書『Justice: What’s the Right Thing to Do?』の冒頭に置かれています。
その理由は明確です。
サンデルはここで読者にこう気づかせているのです。
- 道徳問題には簡単な答えはない
- 私たちは無意識に哲学を使っている
- 正義とは何かを考える必要がある
つまりトロッコ問題は、哲学の世界への入口として使われているわけですね。
参考図書&おすすめ本
『Justice』はAmazonで簡単に手に入ります。
日本語版は、『これからの正義の話をしよう』というタイトルになっています。
Youtubeにハーバード大学の講義動画もあります。本と合わせて利用すればインプットの質と量と理解度が激増します。
2026年3月時点で、4090万回という異常な再生数になっています。
