日本の学校英語ほど、長年にわたって批判の的となっている分野もめずらしいですよね。
教育関係者たちも必死になってありとあらゆる改革をしています。
にもかかわらず、日本人の英語力はいつまでたっても向上が見られない。
日本の英語教育はどこが間違っているのか?科学的にみて正しい外国語教育とはどのようなものなのか?
実はこうした問題にはだいたいの答えが出ています。
第二言語習得論(SLA)と呼ばれる学問分野が、効果的な研究を積み重ねているからです。
第二言語習得研究では、外国語を習得するメカニズムとして2つの理論があります。
・インプットモデル
この記事では、まずこの2つのモデルを説明し、日本の教育がどちらのモデルを採用しているのかを分析します。その上で、日本の英語教育の課題と改善策を考察します。
なお白井恭弘『英語教師のための第二言語習得論入門』を参考文献として使います。
自動化理論とインプット仮説を比較すると…
まずは自動化理論とインプット仮説の違いから解説します。
自動化理論とはなにか?
自動化理論とはなんでしょうか。
その内容を簡単にいうと、まず最初に明示的知識を身に着け、それを繰り返しトレーニングするうちに外国語が使えるものになっていくと考えるモデルです。
明示的知識というのは、言葉で客観的に説明できる知のこと。
たとえば自転車の乗り方は明示的ではない暗黙的な知ですよね。説明してくれといわれても困る。音楽とか絵とかもそう。
一方で算数の解き方は明示的な知識だといえます(少なくとも大部分は)。
自動化理論ではこのように、外国語の知識を算数の問題のように明示的に解説し、学習者に理解させます。
そしてそれをトレーニングしていくうちに、実践的な使える外国語になっていくはずだと考えるんです。
お察しの通り、戦後日本の英語教育はこのモデルが基礎になっています。文法訳読タイプの授業はまさに明示的知識の伝達ですよね。
インプット仮説とはなにか?
ではもう一方のインプット仮説とはどんなモデルなのでしょうか。
簡単にいえば、外国語は大量のインプット(聞くこと&読むこと)によって勝手に習得できると考えるものです。
とはいえ条件があって、理解可能なインプットを大量に行うのが不可欠。意味がわかってないと効果は出ない。でなきゃ留学した人はみんな英語ペラペラになってるはずですからね。
明示的知識とかそんな難しい理屈はどうでもいいから、とにかく理解可能な英語を大量に浴び続けろ、というのがインプットモデル。
たとえば英語で授業を行うのは、このインプットモデルに基づいています。
インプットモデルの提唱者クラシェンは「アウトプットなど一切必要ない」とまで言いました。
さすがにこれは最近の研究によって効果が否定されているのですが、しかしアウトプットに思ったほどの意味がないことは実証されています。
あくまでも大量インプットが肝です。
自動化理論の問題点と日本の英語教育
自動化モデルとインプットモデルはどちらが正しいのか?
実は第二言語習得研究では、インプット理論に軍配が上がっています。
では自動化理論はどこが不十分なのか?以下の2点に問題があります。
・言語のルールをすべて明示的知識に落とし込むことは不可能
・頭で理解できたとしても使えるようになるかは別問題
たとえば日本語の「が」と「は」の使い分けを説明してくださいと言われたら、日本人でも困りますよね。
言語というのはこのような暗黙の知によって成り立っています。
自転車にのったり泳いだりするのと同じように、われわれはそれを感覚で体得します。それを明示化して知識として伝達することは不可能。
また、頭で理解できたとしてもそれを実際に使えるかは別問題です。
それは文法能力の高い日本人が、英語を話したり書いたりするのが苦手というのを見ればわかりますよね。
自動化モデルの弱点は、この2点にあるといえるでしょう。

自動化モデルの教育ってなにもメリットないの?
自動化理論が完全に無効というわけでもありません。
発音や文法の理解を促進することで、インプットの効果をブーストさせることができるからです。
要するに英語学習はインプットモデルで実行し、それを少量の自動化モデルで補助することが理想的だといえます。
日本の英語教育は自動化モデルに基づいている
では日本の学校における英語教育はどうなっているでしょうか?
お察しのとおり、日本の学校は自動化モデルで英語を教えています。
・まずは文法を教える
・次に少量の英文を精読しつつじっくり訳読していく
明示的知識を叩き込む自動化モデルになっているんです。
しかも自動化のトレーニングをしないのが悪しき特徴。
明示的知識を頭で理解したあとに練習によってそれを自動化することが自動化モデルの本領ですが、日本の教育では頭で理解したところで終わり、自動化トレーニングがないのです。
・有効とされるインプットモデルで教えていない
・しかも自動化が欠如した自動化モデルで教えている
さらにまずいのは、問題が「インプットかアウトプットか」という間違った方向性で議論されがちなところ。
問題はそこじゃないんですよね。
「量が足りてない」という点に最大の問題があるわけです。
この問題をそのままにしたまま会話型の学習に移行したとしても、成果は見られないでしょう。
というか、戦後日本人の長所だった文法とリーディングの能力さえ失われて、なんにもできない英語学習者が大量に生まれる危険性があります。
日本の英語教育はどう変えていけばいいのか?
では日本の英語教育はどのように変えていけばいいのでしょうか?
これが最大の要になるでしょう。
要するにインプットを増やすことを意識するわけです。
また日本は読むことに比重が置かれがちなので、聞くことの比重を意識的に増やしていきます。読むことと聞くことは1:1の比率になるのが望ましいです。
白井恭弘『英語教師のための第二言語習得論入門』では、高校のクラスでおこなった興味深い授業形態が紹介されています。
・まず長文の内容に関する質問を投げかけておく
・長文をリスニングさせる
・内容に関する質問をもう一度与えて理解度チェック
・長文を今度はリーディングしていく
・より踏み込んだ質問を与える
・日本語で内容説明(全訳はしない)
なんかTOEICリスニングセンクションの学習みたいですよね。
同じ長文をなんども利用することでインプット量が激増しているところに注目してください。
また彼のクラスでは、年間で10冊ほどサイドリーダーを読んだそうです。
「英語で英語の授業をおこなう」といった施策も、この文脈上で出てくるものです。インプットを増やすにはこれが最強のやり方だよねという話。
この観点がないと、なんでわざわざ拙い外国語で授業しなくちゃいけないのか、教師も生徒も納得できないですよね。
アウトプットはやらなくていいの?
最近は勉強におけるアウトプットの重要性がよく言われます。
たとえば樺沢紫苑『アウトプット大全』では、インプットとアウトプットの黄金比は3:7だというふうに書かれていました。
しかしこと外国語学習になるとこの比率は逆転します。
インプットとアウトプットの比率は上級者でも7:3が望ましい。
初心者ならもっとインプットを増やしていいでしょう。大量のインプットこそが外国語習得のカギです。
アウトプット中止の授業がもつマイナス点も
それに、アウトプットには学習者の不安を高めるというマイナス面もあります。
そして不安が高まると学習効果が激減してしまうことは、脳科学的に実証されている。
おまけに日本人はとくに不安や緊張の強い民族ですから、アウトプット強制による弊害が出やすいです。
「みんなの前で喋らせる」みたいなことは避けたほうがいいでしょう。一部の外向的な子どもに自発的にやらせるなら問題ないですが。
教室でアウトプットを強制するにしても、ペアでやらせるのがベストです。これなら緊張感がだいぶ軽減されますので。
まとめ
日本の英語教育は、戦後から現在に至るまで「自動化モデル」を基礎としており、文法訳読中心の指導が続いてきました。
しかし、第二言語習得研究の成果を踏まえると、言語習得には「インプットモデル」の方が効果的であり、大量の理解可能なインプット(リスニング&リーディング)が不可欠です。
現在の学校英語の問題点は以下の2つに集約されます。
・自動化モデルに依存しているが、十分なトレーニングが行われていない
・インプット量が圧倒的に不足している
そのため、英語教育を改革するには、以下のようなアプローチが必要です。
・授業内での英語使用を増やす(英語で授業を行うこともこの文脈で検討される)
・アウトプットは補助的に使う(集団のなかで無理に発話を強制せず、ペアワークなどを活用)
この記事の参考文献は白井恭弘『英語教師のための第二言語習得論入門』。良書です。
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