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英語で読むシェイクスピア『ジュリアス・シーザー』|言葉が作る権力と悲劇

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ローマ史の英雄として知られるジュリアス・シーザーは、シェイクスピアの手にかかることで、単なる偉人ではなく、「言葉」と「政治」に翻弄される存在として立ち上がります。

史劇『ジュリアス・シーザー』は、暗殺という劇的な事件を描いた作品であると同時に、共和政ローマがなぜ終焉へ向かったのか、そして権力は誰の言葉によって正当化されるのかを問いかける作品です。

この記事では、作品の成立史と評価を押さえたうえで、シェイクスピアの英語が作り出すシーザー像、ブルータスとアントニーの演説に見られる英語表現の差異を解説します。

英文学とローマ史が交差するこの悲劇を通して、シェイクスピアが描こうとしたものを読み解いていきましょう。

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ジュリアス・シーザーはどんな作品か

『ジュリアス・シーザー(Julius Caesar)』は、シェイクスピアが一五九九年ごろに執筆したと考えられている作品です。

この時期、彼の劇団はロンドンにグローブ座を建設しており、本作はその初期を代表する歴史劇・悲劇の一つに位置づけられます。

題材は古代ローマ史で、主な典拠はプルタルコス『英雄伝』の英訳でした。

もっとも、シェイクスピアの関心は史実の再現ではなく、権力の集中がもたらす政治的緊張や、理想と現実の衝突を舞台上に立ち上げることにありました。

当時のイングランドではエリザベス一世の後継問題が現実味を帯びており、「強力な指導者の死後、国家はいかにして存続するのか」という問いは観客にとっても切実なテーマでした。

『ジュリアス・シーザー』は、そうした同時代の不安を古代ローマに仮託して描いた政治劇でもあります。

あらすじ

物語は、内戦に勝利したジュリアス・シーザーがローマで圧倒的な人気と権力を手にする場面から始まります。

しかし元老院の一部の貴族たちは、彼が王となり共和政を破壊するのではないかという恐怖を抱きます。その中心にいたのが、共和派の理想を体現する人物ブルータスでした。

彼らはローマの自由を守るという大義のもと、シーザー暗殺を計画し、元老院の場でこれを実行します。

有名な「ブルータス、お前もか」という場面に象徴されるように、この殺害は個人的な裏切りであると同時に、政治的行為でもありました。

暗殺後、ブルータスとカッシウスは民衆に向けて自らの正当性を説明しますが、続くマーク・アントニーの演説によって空気は一変します。

民衆は感情的に煽動され、暗殺者たちはローマから追放されます。

その後は内戦が激化し、最終的にブルータスとカッシウスは敗北して自死に追い込まれます。

物語の後半で描かれるのは、シーザー個人ではなく、彼の死によって生じた政治的空白と、それをめぐる権力闘争です。

作品の評価

『ジュリアス・シーザー』は、シェイクスピアの史劇のなかで最高傑作と目されることの多い傑作です。

この作品が高く評価されている理由の一つは、題名となっているシーザー自身が物語の途中で退場し、その死後こそが本当のドラマになるという大胆な構成にあります。

シェイクスピアは、単純な善悪や英雄譚を描くことを避け、政治の場における人間の弱さや矛盾を正面から描きました。

本作の重要な特徴としては、次のような点が挙げられます。

  • シーザー、ブルータス、アントニーのいずれにも正義と欠陥が併存しており、誰か一人を絶対的な正義として描いていないこと。
  • 民衆の心理がいかに言葉によって容易に動かされるかを、演説という形で極めてリアルに示していること。
  • 理念としての共和政と、現実の政治権力との緊張関係を、抽象論ではなく人間ドラマとして提示していること。

『ジュリアス・シーザー』は、英雄の物語というよりも、国家と権力が抱える構造的な悲劇を描いた作品であり、その点において、後に続くローマ史劇群への重要な起点となっています。

 

シェイクスピアの英語が作り出す「シーザー像」

シェイクスピアの似顔絵

シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』に登場するシーザーは、歴史上の偉大な英雄としてよりも、英語表現によって巧みに「そう見える存在」として描かれています。

重要なのは、シーザーその人の内面や思想が詳しく語られるわけではない点です。むしろ、彼の人物像は、周囲の登場人物たちの英語によって外側から組み立てられていきます。

 

まず特徴的なのは、シーザー自身が語る場面が意外なほど少ないことです。作品のタイトルにもなっている人物でありながら、彼のセリフ量は決して多くありません。

これは偶然ではなく、シェイクスピアが意図的にとった構成だと考えられます。

シーザーは「語る人物」というより、「語られる対象」として舞台に存在しているのです。

周囲の人物は繰り返し「Caesar」という名前を口にします。「great Caesar」「mighty Caesar」といった表現が何度も登場し、その名前自体が一種の象徴として機能します。

英語では固有名詞が反復されることで、実体以上の重みや権威が付与されます

こうしてシーザーは、一人の人間というより、巨大な存在感をもつ記号のように立ち上がっていきます。

 

一方で、シーザー自身の英語に注目すると、その語り口には独特の特徴があります。

彼は自分を三人称で呼ぶことがあり、たとえば「Caesar shall go forth」のように語ります。

これは単なる癖ではなく、話者が自分自身を個人としてではなく、公的存在、あるいは制度のようなものとして位置づけていることを示します。

英語において三人称は距離と客観性を生み出しますが、それが自己言及に使われることで、傲慢さや神格化のニュアンスが強まります。

 

また、シーザーの英語には断定的な表現が多く見られます。「shall」や命令文が頻繁に使われ、迷いや逡巡がほとんど感じられません。

英語では、こうしたモダリティの選択が話者の態度をはっきりと表します。

シーザーの言葉は常に決定と支配の側にあり、対話よりも宣告に近い響きをもっています。

 

しかし同時に、彼の英語はどこか硬直しています。比喩や修辞は多くなく、言葉の幅も限定的です。

これは、後に登場するマーク・アントニーの流動的で感情を揺さぶる英語と鮮やかな対比をなします。

シーザーの言葉は強固であるがゆえに、変化に弱く、状況の微妙な揺れを読み取る柔軟性を欠いているようにも見えます。

 

さらに重要なのは、シーザー像がしばしば他者の恐れや期待を映す鏡として描かれている点です。

ブルータスやキャシアスが語るシーザーは、実際の行動以上に「将来の独裁者」「制御不能な存在」として誇張されます。

ここでも英語表現が重要な役割を果たしています。仮定法や比喩を用いた語りによって、まだ起こっていない未来が、あたかも確定した事実のように語られるのです。

 

このように、『ジュリアス・シーザー』におけるシーザーは、内面描写によって作られた人物ではありません。

彼は、他者の英語、反復される名前、三人称による自己言及、断定的なモダリティといった言語的仕掛けの集積によって形作られた存在です。

シェイクスピアは、英語そのものを使って「巨大な権力者」というイメージを舞台上に立ち上げています。

英語で原文を読むと、シーザーの人物像が歴史的知識とは別の次元で見えてきます。彼は単なるローマの英雄ではなく、言葉によって神格化され、言葉によって恐れられ、そして言葉の構造そのものが悲劇を準備していく存在なのです。

 

ブルータスの言葉とアントニーの言葉:英語表現の違いに着目

『ジュリアス・シーザー』において、物語の流れを決定づける場面の一つが、シーザー暗殺後の民衆への演説です。

ここでブルータスとマーク・アントニーは、ほぼ同じ状況、同じ聴衆に向かって語りかけます。

しかし結果は正反対でした。ブルータスの演説は人々を一時的に納得させたにすぎず、最終的に民衆の心を完全につかんだのはアントニーでした。

その差は、二人の英語の使い方に如実に表れています。

 

まずブルータスの演説の特徴は、極めて理性的で整った英語にあります

彼は冒頭で「Romans, countrymen, and lovers!」と呼びかけ、秩序だった語順で聴衆との関係を定義します。

その後も、彼の英語は論理的な因果関係に基づいて展開されます。シーザーを愛していたこと、しかしローマをより愛していること、そのために行動したことが、明確な構文と簡潔な文で語られます。

ブルータスの英語は、抽象名詞が多い点も特徴です。自由、名誉、野心といった概念が繰り返し用いられ、個々の感情よりも普遍的な価値が前面に出ます。

英語としては非常に「きれい」ですが、その分、聴衆が具体的なイメージを思い浮かべにくいという弱点も抱えています。彼の語りは、民衆を市民として扱い、理性に訴えるものです。

 

一方、アントニーの英語は、最初からまったく異なる方向を向いています。彼は「Friends, Romans, countrymen」と語り始め、友人という言葉を最初に置くことで、聴衆との心理的距離を一気に縮めます。

この語順の違いは些細に見えて、英語のレトリックとしては非常に重要です。アントニーは民衆を「判断する主体」ではなく、「感情を共有する仲間」として位置づけます。

アントニーの演説では、具体的な描写と反復が効果的に使われます。シーザーの傷跡、血に染まったマントといった視覚的イメージが次々と提示され、聴衆の想像力が刺激されます。

また、「honourable men」という表現を繰り返し用いながら、その意味を少しずつ反転させていく手法も特徴的です。表面上はブルータスたちを称えながら、実際には疑念を植え付けていくのです。

 

文の構造にも大きな違いがあります。

ブルータスの英語は、結論が先に提示され、その理由が続く直線的な構成です。

これに対し、アントニーの英語は回り道をしながら、問いかけや沈黙を挟み、聴衆自身に結論を言わせる形を取ります。

英語では、疑問文や間の取り方が感情の揺れを生み出しますが、アントニーはそれを熟知しています。

 

さらに重要なのは、二人が想定している聴衆像の違いです。

ブルータスは民衆を理性的に判断できる存在として信頼しています。そのため、彼の英語は簡潔で、説明が過不足なく完結しています。

しかしアントニーは、民衆が感情によって動く存在であることを前提にしています。彼の英語は感情の波を意図的に作り出し、その流れに聴衆を巻き込んでいきます。

 

結果として、ブルータスの演説は「理解」はされても、「行動」を引き起こすには至りませんでした。彼の英語は正しく、誠実で、論理的でしたが、民衆の心に長く残る言葉にはならなかったのです。

一方でアントニーの英語は、論理の正しさよりも感情の動きを優先し、聴衆自身に怒りと悲しみを発見させる構造を持っていました。

この場面は、単なる弁論術の優劣を描いているのではありません。シェイクスピアは、英語の使い方そのものが政治的な力を持つことを示しています。

ブルータスが信じた理性の英語と、アントニーが操った感情の英語。その差こそが、ブルータスの失墜を決定づけた要因となりました。

 

そして物語は『アントニーとクレオパトラ』へ

『ジュリアス・シーザー』は、シーザー暗殺という劇的な事件で終わる物語ではありません。

この作品が描いているのは、共和政ローマが事実上、回復不能な段階に入った瞬間であり、その先に続く歴史が必然的に存在します。

そして「その後」を正面から描いた作品が、『アントニーとクレオパトラ』です。

両作品は独立した戯曲でありながら、政治史的にも思想的にも、明確に連続した一つの流れを形成しています。

 

『ジュリアス・シーザー』の終盤で権力の中心に浮上するのは、マーク・アントニーとオクテイヴィアヌス(後のアウグストゥス)です。

史実においても、シーザーの死後、彼の遺産をめぐってこの二人が主導権を争い、やがてローマ世界は再び内戦へと突入します。

共和派が掲げた理念は政治的現実の中で急速に力を失い、代わって前面に出てくるのは、誰がローマを統治するのかという、きわめて具体的な権力闘争でした。

『アントニーとクレオパトラ』は、この局面を、単なる政争ではなく、人間の情念と結びついた悲劇として描き出します。

 

この作品で中心となるアントニーは、『ジュリアス・シーザー』においては冷静で計算高い政治家として登場しました。

葬送演説で民衆を掌握する姿は、言葉と感情を自在に操る実践的政治家の典型です。

しかし『アントニーとクレオパトラ』では、そのアントニーが、エジプト女王クレオパトラとの関係を通じて、次第にローマ的価値観から逸脱していきます。

ここで描かれるのは、義務と情熱、国家と個人という二つの原理の衝突です。

 

史実の観点から見ても、アントニーの敗北は単なる恋愛スキャンダルの結果ではありませんでした。

彼は軍事的・政治的には決して無能ではありませんでしたが、ローマ世界が求めていたのは、シーザーのようなカリスマや、ブルータスのような理念ではなく、冷酷なまでに安定を優先する統治者でした。

その役割を担ったのがオクテイヴィアヌスです。彼は感情を表に出さず、制度と秩序を重視し、最終的にアントニーとクレオパトラを打ち破ります。

これによってローマは帝政へと移行し、アウグストゥスの時代が始まります。

 

『ジュリアス・シーザー』から『アントニーとクレオパトラ』へという流れは、英雄の死から帝国の成立へと至るローマ史の転換点を描くと同時に、シェイクスピアが政治と人間の関係を段階的に掘り下げていく過程でもあります。

前者が制度と権力の崩壊を描いた作品だとすれば、後者は、その崩壊の後に残された人間の情念を描いた作品です。

二つの戯曲を続けて読むことで、シェイクスピアが見据えていたローマ史の全体像と、そこに重ねられた人間理解の深さが、より立体的に浮かび上がってきます。

 

印象的な英文を紹介

最後に、『ジュリアス・シーザー』の原書から印象的な英文を紹介します。

3月15日という運命の日(ブルータスらによる暗殺計画実行の日)に、シーザーが部下の制止を振り切って出かけていく場面です。シーザーの言語表現や自己認識の特徴がよくわかります。

ALPHURNIA.
What mean you, Caesar? Think you to walk forth?
You shall not stir out of your house today.

CAESAR.
Caesar shall forth. The things that threaten’d me
Ne’er look’d but on my back; when they shall see
The face of Caesar, they are vanished.

CALPHURNIA.
Caesar, I never stood on ceremonies,
Yet now they fright me. There is one within,
Besides the things that we have heard and seen,
Recounts most horrid sights seen by the watch.
A lioness hath whelped in the streets,
And graves have yawn’d, and yielded up their dead;
Fierce fiery warriors fight upon the clouds
In ranks and squadrons and right form of war,
Which drizzled blood upon the Capitol;
The noise of battle hurtled in the air,
Horses did neigh, and dying men did groan,
And ghosts did shriek and squeal about the streets.
O Caesar, these things are beyond all use,
And I do fear them!

CAESAR.
What can be avoided
Whose end is purpos’d by the mighty gods?
Yet Caesar shall go forth; for these predictions
Are to the world in general as to Caesar.

CALPHURNIA.
When beggars die, there are no comets seen;
The heavens themselves blaze forth the death of princes.

CAESAR.
Cowards die many times before their deaths;
The valiant never taste of death but once.
Of all the wonders that I yet have heard,
It seems to me most strange that men should fear,
Seeing that death, a necessary end,
Will come when it will come.

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